宿題への意識

勉強するなら家ですればいいし、

教わるなら学校でいくらでも教わればいい。

学校だけではわからないから

塾に通うという考えもあるかもしれない。

しかし、

塾でも「勉強を教わる」というスタンスでは、

単に勉強に当てる時間を増やしているにすぎないから、

効率的じゃない。ムダ遣いだ。

 
あくまで塾は「成績を上げるために通うところ」だ。

これは当たり前のことなんだけど、

その意識があるかないかだけで、雲泥の差になる。
 

塾は自ら学ぶところ
 
勉強を教わりに来ている子とは、一緒に勉強したくない。

そういうスタンスでずっとやってる。
 

「塾は勉強を教えるところ」

「塾で勉強を教えてもらう」

そういう考えの方もいると思うし、

そういう塾もあるんだろうけど、

ウチはそうでないことは塾生にもよく話すことだ。
 

だって、

勉強なんてしなくったって生きていけるんだから。

勉強を教えてもらうんなら、学校だけで十分。
 

ぼくたちはある意味、「余計なこと」をしてるわけだ。

だけどその「余計なこと」に価値を見出す人たちが集まる。

ぼくたちは同じ価値観を持った仲間なんだというスタンスだ。
 

「成績を上げたい」

別に、そういう「余計な」価値観を持っていない人は、

それでいいと思う。

人生一回しかないのに、

どうして無理やり嫌なことをやる必要があるのか?
 

塾は成績を上げるところ
 
教えてもらうのを待ってる子 

そういう生徒は、少なからずいる。
 

ぼくの基本的な態度として、

「教えてもらう」のを待っている生徒には、

教えないというのがある。
 

「教えてもらう」のが当たり前だという

勉強姿勢から伸びるものは、何にもないと思う。
 

その場では解決するかもしれない。
 
だけど、それってその場限りだから、残らない。
 

わからない問題があると、苦しい。

特に他の子ができているのに、自分だけ…。

という気持ちがあるかもしれない。
 

そこに講師が飛んでいって、

すべてその問題を解決してしまったとして、

じゃあ、何が解決されたのかというと、

苦痛がなくなっただけで、

これは、虫歯があるのに

痛み止めを出し続けている

医者みたいなもんだ。
 

そんな医者はありえないだろう。
 
甘え続けている生徒は、いつまでたっても伸びない。
 

少し厳しい言い方だけれど、

そうなんだからしょうがない。
 

痛くない勉強なんて、ほとんどないんだから。
 
どうせやるんなら、誇りを持ってやりたいもんだと思う。

何に対してもそう。
 

何かをやることに対して誇りを持つってことは、

自分の人生に誇りを持つことだ。

同じやるんだ。

嫌々やるとしたら、それは、

自分の人生に対して申し訳がない。
 

それは侮辱だと思う。

自分の人生をそんな風に侮辱してはいけない。
 

「わかりません、だから教えてください」というのは、

十分に自分の頭で考えた結果、

初めて言える言葉なはず。

 
出さないといけないから出す。

それは作業以下だ。
 

成績の上がる子は、

分からないなら分からないなりに、

自分がどこをどう分からないか、

問題を考える過程で「分かって」いる。

「ここを解決しなくては」というポイントを

拾い上げているからこそ、次につながる。
 

甘えてはいけない。
 
自分のための宿題だ。
 

生徒が自分で考え、

自分で解答を導き出していく。

その過程がどうであろうと、

主体はあくまで「自分」だ。
 

こっちが説明すればするほど、

相手は聞き手になる。

当たり前だけれど、このバランスが難しい。
 
 
 
いつも言っているように、

きみたちができなくても、

ぼくは全然困らない。
 
 

 

~追伸~

子どもを変えるためには…

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ありがとうございました。。。

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